信仰のきっかけとか最近の宗教論についてとか
本当は某教会のニュースで思うところばかりで、昨今の宗教論についてちらっと語ろうかと思ってたんだけど。なかなか良い聖句(このブログでは聖書の一節と定義しておきます)に巡り会えなくて三日坊主で長らく止まっちゃいそうだったから閑話(笑)
私はクリスチャンである大学の恩師にキリスト教について学んだのがきっかけで(それからだいぶ時間が開いて)洗礼を受けたんだけど、もともとは知識として知りたいという知的欲求から入りました。
基本的にオタクで読書が好きだったから、SFの背景だったり、エヴァの使徒についてだったりをもっと深く知りたかった、あるいは、西欧文明の内容や基礎、社会的背景、哲学や民主主義の精神をもっと深く理解したかったんですよね。
ありきたりだけど当時鬱になってて大学に行けず、それを気にかけて恩師が声をかけてくださったんだけど、もともと斜に構えた性格だったから、宗教の本来の意味であるところの信仰、人生の生きがいとよりだのみについては最初は受け入れることはできませんでした。
だけど、困難にぶち当たっているときに聖書を読めば読むほど、よりだのまないといけない弱い自分を強くしてくれる、背中を押してくれる言葉に巡り合える。
"なぜかわからないけれど、この人に引かれる。自分のちょうどかけている部分も満たす何かを持っている。自分の人生にとって、この人は大切な方ではないかと思う。語られている言葉をよく咀嚼するにつれて、ますます思いは募る。"
というところにまんまと乗せられた形になりました。
恩師の言葉を借りて言うなら、信仰はあくまで学びのプロセスであって、ただ信じ込む盲信では信仰の進行はありえない。これは宗教に限らずなので皆さんにも伝わるんじゃないかなと思うんですが、考えることをやめてしまっては、すべてはそこで止まってしまう。仏教等と違って、悟り、至る場所がないっていうのはある意味厄介ではあるけど、オタクなのでその沼に引きずりk…惹かれました。
オタクほど素養はあると思うので、皆さん宗教の勧誘にはお気を付けくださいねΣ(ノ∀`*)ペチョン
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強く、雄々しく、事を成し遂げなさい。恐れてはならない。おののいてはならない。神である主、私の神が、あなたとともにおられるのだからー。主は、あなたを見放さず、あなたを見捨てず、主の宮の奉仕のすべての仕事を完成させてくださる。
(Ⅰ歴代誌29:20)